私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『東京奇譚集』 村上春樹

2008-03-25 19:16:14 | 小説(国内男性作家)

肉親の失踪、理不尽な死別、名前の忘却……。大切なものを突然に奪われた人々が、都会の片隅で迷い込んだのは、偶然と驚きにみちた世界だった。孤独なピアノ調律師の心に兆した微かな光の行方を追う「偶然の旅人」。サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」など、見慣れた世界の一瞬の盲点にかき消えたものたちの不可思議な運命を辿る5つの物語。
出版社:新潮社(新潮文庫)


ハードカバーで一度読んでからの再読なのだが、今回読み直してみて、改めて村上春樹の上手さを再認識させられた形だ。
メタファーに富んだ言葉を巧妙にちりばめる技術は、さすが一流。相変わらず会話はへんてこだが、これだけの技巧を見せられれば、多くは望むまい。何よりいまさら春樹にそれを望んでも仕様がないだろう。

さて、この作品集のタイトルは「奇譚集」と銘打っているということもあってか、奇妙な物語が多い。
僕は、この作品集の共通テーマを、そんな目の前で起きている奇妙な現実をいかに受け入れかにあると思った。そのテーマ(と僕は受け取った)のもとに収束した作品はどれも優れたできとなっている。

たとえば「ハナレイ・ベイ」。
主人公であるサチは自立し、自分の頭で考えている女性である。だがそれに対し、彼女の息子は人間としてはちゃらんぽらんだ。サチはそんな息子を愛しながら、人間として好きになれなかったと語っている(結構衝撃的な言葉だ)。
その隠された気持ちは読んでいても理解できるのだが、それは何もサチの視点に限った一方通行の言葉ではないだろう。ひょっとしたら息子だって、母親をそう見ている可能性だってある。片足のサーファーのメタファーから判断してそう受け取れなくはない。
そういう点、「ハナレイ・ベイ」はきわめて残酷な話だろう。
そういった残酷な事実を受け入れるしかない、のだとしたら、この奇妙な現実を生き抜いていくのは、苛酷で大変な作業ではないだろうか。

実際この作品には現実に疲れている人の姿がいくつも見られる。
典型的なのは「どこであれそれが見つかりそうな場所で」の失踪した夫だろう。「発せられることのない言葉」の中には、彼なりの苦悩が隠されているように見えないだろうか。

だがそんな苛酷さから逃れようとしても、現実から逃げ続けることはできやしない。
そんなとき、「日々移動する腎臓のかたちをした石」で語られているように意志を持った風(もちろんメタファーだ)を受け入れ、それと一体化することもありなのだろう。
また「偶然の旅人」のように希求し現れた偶然に安らぎを見出すこともありかもしれない。

個人的には「品川猿」(この作品がこの作品集の中では一番好きだ)の中にあった「名前を盗むことによって、善きものと同時に、そこにある悪いものをも引き受ける」という点が心に残った。
個人的な解釈であれだが、その言葉には無名性や我の消失にも人を救う一面があるという風に言っているように見えて、何となく新鮮に映った。
自分にまとわりつくものをすべてを引き受けるには、少しばかり重過ぎることもあるのかもしれない。
だがそんな重いものを引き受けても、前向きに生きていける予感は決して消えることはないのではないだろうか。
この作品集に、僕はそんな力強い意志を見る思いがした。

どうも「品川猿」の主人公みずきが嫌っている理屈っぽい口調になってしまったきらいがある。これも理系人間の性質だろう。しかも文章にまとまりがない。嫌になってくる。
ともかくも、この作品集にはあらゆる解釈が可能だということだ。
個人的には再読することで、新しい発見をいくつかできたことが大きな喜びである。
やはり春樹はすばらしい作家である。彼の作品が好きだと、改めて思った。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『海辺のカフカ』

 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

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2 コメント

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品川猿 (eno)
2008-03-28 19:05:26
「東京奇譚集」面白かったですね。
表紙の猿の絵もよろしく
~ENOKI~
返信する
コメントありがとうございます (qwer0987)
2008-03-29 19:45:23
コメントありがとうございます。
ENOKIさんの表紙の絵も大変魅力的で、ハードカバー版よりも文庫版の表紙の方が(社交辞令じゃなく)本当に好きです。
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